
塩谷氏の養子となった朝業は、下野国塩谷庄を治める武士として新たな人生を歩み始めました。
塩谷庄は現在の栃木県北部一帯に広がる広大な地域であり、矢板・塩谷・喜連川・塩原などを含む豊かな土地でした。
鎌倉時代において荘園は武士の経済基盤であり、そこから得られる年貢や労働力が武士団の力の源でした。そのため塩谷庄を治めることは、単に土地を所有するということではなく、地域の人々を守り、秩序を維持し、戦いの際には兵を率いるという重要な責務を伴っていました。
朝業は塩谷氏の後継者として、庄園の経営と武士団の統率に力を尽くしました。
また鎌倉幕府の御家人として将軍に仕え、必要に応じて鎌倉へ出仕し、幕府の命令に従って軍役や警備などの任務にもあたりました。御家人とは、鎌倉幕府の将軍に直接仕える武士のことです。
その代わりとして土地の支配権や特権を認められていました。朝業はこのような御家人の一人として、幕府に仕えながら塩谷庄の統治に力を尽くしました。
