
塩谷朝業の生涯の流れ
| 西暦 | 年号 | 出来事 |
| 1174年 | 承安4年 | 京都において誕生。幼名は宇都宮 竹千代。 宇都宮業綱の子として生まれる。 *この時、父 業綱19歳、祖父 朝綱53歳 |
| 1170年代後半 | 京都で幼少期を過ごす。母や祖父の影響で和歌や 都の文化に親しむ。 | |
| 1180年 | 治承4年 | 以仁王が兵士討伐の令旨を出し、源平合戦が始まる。 この頃、朝業は兄の頼綱とともに宇都宮へ。 |
| 1180年~1185年 | 源平合戦の動乱の時代。宇都宮氏は源氏側として活動。 | |
| 1184年 | 元暦元年 | 祖父の朝綱が京都を脱出し、源頼朝のもとへ向かう。 |
| 1185年 | 文治元年 | 屋島の合戦、壇ノ浦の合戦で那須与一が活躍。平家は滅亡し、源頼朝が東国で勢力を固め、鎌倉幕府を開く。 |
| 1185年~1190年代 | 朝業は宇都宮氏の一族として成長。 武士としての教育を受ける。 | |
| 1190年 | 建久 1年 | 源頼朝が京都で天皇と会う。 祖父の朝綱は頼朝の供をする。 |
| 1192年 | 建久 3年 | 源実朝が生まれる。 父の業綱が亡くなり、朝業は塩谷氏の養子となる。 |
| 1194年 | 建久 5年 | 公田横領事件が発生。祖父の朝綱が公田横領の罪により流罪となる。塩谷朝業も周防国への流罪を命じられる。 |
| 1190年代後半 | 源頼朝の取りなしにより罪が許され、一族は領国へ戻る。同時期、祖父の朝綱は家督を頼綱に譲り隠居。 | |
| 1199年 | 正治 1年 | 源頼朝が亡くなる。この頃より川崎城の築城を始める。 |
| 1203年 | 建仁 3年 | 源実朝が将軍となる。 |
| 1204年 | 元久 1年 | 塩谷時朝(朝業の子、初代笠間城主)生まれる。 祖父の朝綱が亡くなる。 |
| 1205年 | 元久 2年 | 兄の頼綱が笠間へ兵を出す。 牧氏(頼朝の妻の母)の将軍暗殺計画がわかり、頼綱は出家して蓮生となり、幕府に謝る |
| 1212年 | 建暦2年 | 塩谷朝業が歌一首を将軍実朝から賜る |
| 1213年 | 建保1年 | 塩谷朝業は将軍家御所へ移住し、警護を行う |
| 1219年 | 承久1年 | 実朝右大臣拝賀(朝業は警護役として同行) 鶴岡八幡宮の帰り、公暁に殺される |
| 1220年 | 承久2年 | 塩谷朝業は出家し、信生となる |
| 1227年 | 安貞1年 | 蓮生(塩谷朝業の兄)、信生(塩谷朝業)が浄土宗 嘉禄の法難の際に、法然上人の遺体を移送する |
| 1235年 | 嘉禎1年 | 藤原定家が百人一首を屏風に書く |
| 1248年 | 宝治2年 | 信生(塩谷朝業)が京都で亡くなる。75歳 |
朝業の人生は大きく 四つの時期に分けることができます。
① 京都での幼少期
宇都宮氏の子として誕生
和歌文化の中で育つ
② 武士としての時代
塩谷氏の養子
御家人として塩谷庄を統治
③ 人生の転機
出家
④ 信生法師としての人生
京都で仏門生活
和歌と仏教の世界
塩谷朝業は京都に生まれ、東国武士として活躍し、晩年は仏門に入るという生涯を送りました。この人生は
平安文化 → 武士の時代 → 仏教文化
という、日本中世の精神史を象徴するものでもあります。
