栃木県矢板市に静かに横たわる「川崎城跡公園」。現在は公園として整備され、園内は空掘や土塁、本丸や二の丸など昔をしのばせる史跡が随所に残っています。また二の丸には梅の林、展望台があります。
他にも水車小屋、観察池などが配置された「自然観察ふれあい広場」があります。また、農村レストラン「信生庵」では、美味しい蕎麦も味わうことができます。
本ページでは川崎城跡公園についてそのルーツについて探っていきます。
1. 川崎城跡公園とは何か

川崎城跡(矢板市指定史跡)は、矢板市民に「城山」と呼ばれ親しまれている歴史遺構であり、塩谷氏の本拠地として機能した山城です。
築城は正治・建仁年間(1199~1203年)頃、塩谷朝業によるものとされています。
その後、戦国期に至るまで塩谷氏の居城として継続的に使用され、1595年、豊臣政権による改易に伴い廃城となりました。
特筆すべきは、外敵による直接的な陥落例がほぼ確認されず、内部抗争によってのみ一時的に落城した点です。これは川崎城の防御構造が極めて優れていたことを示唆します。
■基本データ
- 名称:川崎城跡(川崎城跡公園)
- 所在地:栃木県矢板市
- 緯度経度:北緯36度47分15秒 / 東経139度55分10秒
- 種別:山城(丘陵型城郭)
- 指定:矢板市指定史跡(指定日:平成元年4月19日)
- 築城:平安末期〜鎌倉初期(推定)
- 築城者:塩谷朝業(有力説)
- 別称:城山
2. 城の支配者「塩谷氏」と川崎城の位置づけ

川崎城は単なる地方城郭ではありません。
それは、塩谷地方北西部を統治した武士団の中枢拠点でした。
■塩谷朝業という人物は…
- 宇都宮業綱の二男
- 鎌倉幕府御家人
- 将軍 源実朝 と和歌を通じて交流
- 歌人として「信生法師集」を残す
つまり川崎城は、軍事拠点でありながら文化拠点でもあったという、極めて特徴的な城です。
3. 城の規模と構造

川崎城の最大の特徴は、単一の郭ではなく、南北約1.5kmにも及ぶ尾根線を城郭化し、丘陵全体を利用した大規模山城であることです。これは地形そのものが防御装置になっているといえます。
■城域規模
- 南北:約1,500m
- 東西:約340m
→ 縦に長い「帯状城郭」
■自然地形の利用
- 東:宮川
- 西:弁天川
→ 天然の水堀として機能
■構造の特徴
- 尾根上に連続する曲輪群(本丸・二の丸・三の丸)
- 尾根を削って形成された空堀・帯曲輪
川崎城の規模は、一見すると「南北約1.5km・東西約340m」というシンプルな数値で語られることが多いです。しかし実際には、この城の本質は単なる面積では測れません。
川崎城は、尾根という一本の“背骨”に沿って発達した山城であり、時代の進展とともに機能と領域を拡張していった立体的かつ段階的な城郭であるからです。
まず中核部分を見ると、主郭は城の南寄りに位置し、その周辺は「蝸牛城(かぎゅうじょう)」と呼ばれる構造をとっています。これは主郭へ至る経路を螺旋状に制御し、敵の侵入を遅らせる防御設計であり、単なる地形利用を超えた高度な縄張り思想が見て取れます。この主郭を起点として、城は北へと発展していきます。
主郭の北側には水の手曲輪が配置され、さらにその先には「新城」と呼ばれる独立性の高い郭群が存在します。この新城は主郭とは明確に区分されつつも連続していて、全体として「一城別郭」の構造を形成している点が極めて特徴的といえます。
さらに注目すべきは、新城の北に続く尾根上の「的場山」です。名称が示す通り、ここは射的場として利用された可能性が高く、単なる防御施設ではなく、軍事訓練や戦闘準備の場として機能していたと考えられます。
この地点までを含めると、川崎城は単なる居城ではなく、戦闘・補給・訓練を包含した総合軍事拠点としての性格を帯びていたことが明らかになります。

一方で、南側にも重要な議論があります。主郭の南方約500mには堀江山城が存在し、これを含めて川崎城の規模を南北約1.5kmとする見解もあるからです。
確かに尾根は連続しており、防御線として一体的に機能した可能性は否定できません。しかし、堀江山城は成立過程が異なり、さらに城代が別に置かれていた史実を踏まえると、独立した城として扱うのが妥当であるといえます。したがって、川崎城の“中核的規模”はあくまで約1kmとするのが慎重な見方といえるでしょう。
ただし、ここで話は終わりません。川崎城の真のスケールは、周辺遺構をどう捉えるかによってさらに拡張されるからです。
たとえば南東約500mの滝原台には境林城の遺構が確認されており、これを前衛拠点とみなす見解があります。また東約1kmの木幡神社背後の丘陵には、前方後円墳状の地形を利用した遺構が存在し、これを出丸として利用した可能性も指摘されています。
さらに北方の尾根続きには幸岡城があり、これも川崎城の防衛圏に組み込まれていたとする説もあります。
これらを総合すると、川崎城は単独の城ではなく、複数の拠点を束ねた「広域城郭ネットワーク」として理解すべき存在であるといえるのです。中核部は約1km規模の山城でありながら、その影響圏は周辺の支城・出丸・訓練地にまで及び、結果として数キロメートル規模の防衛圏を形成していた可能性が高いです。
つまり川崎城の規模とは、「どこまでを城とみなすか」という視点そのものに依存します。純粋な遺構として見れば約1.5kmの山城。しかし機能と運用を含めて捉えれば、それは矢板の地形全体を取り込んだ戦略空間そのものであったといえるでしょう。
4. 主郭や曲輪構成とその戦略性

■主郭(本丸)の特徴
- 位置:中央やや南
- 形状:三日月形に湾曲した防御形状
- 規模:東西44m × 南北140m
- 高低差:宮川との標高差 約47m
- 周囲を空堀・土塁で囲む

主郭(本丸)は城の中心部で一番大切な所です。全体が見渡せるように一番高い所に築かれています。戦の場合は、城主が指揮をする司令所になります。主郭までは山道や階段を歩いて登って10分程度の場所にあります。
大きさは東西44m、南北が160mの三日月のような形をしています。この三日月形は単なる地形ではなく、横矢掛かり(側面攻撃)を可能にする戦術的設計であるといえるでしょう。
過去に発掘調査も行われており、調査の結果、雨落を伴う建物跡が北半部から確認されています。また、建物を作り変える整地が何度も行われ、建物の建て変えも度々行われていたようです。
南東部からは13世紀の中ごろと思われる愛知県常滑産の大きなかめが見つかっています。
■二の丸・三の丸

- 本丸北側に段階的に配置
- 二の丸は約20m規模
- 三の丸には大蓮華池(ため池)* が存在
この配置は防御ラインを多層化しつつ、生活・兵站機能も兼ねる構造です。
*大蓮華池(ため池)については塩谷氏の別荘地であるとの言い伝えが残されていますが、
一説ではこの西の段々が小さく区切られており、墓地の跡であったとの話もあります。
■帯曲輪・空堀
(特に西側において…)
- 空堀に架橋して侵入
- 細い曲輪を経由して主郭へ
という動線も考えられますが、これを仮定すると敵を意図的に狭い経路へ誘導し、上方から攻撃するという防御的導線設計がなされていたものと考えることができます。
5. 廃城時期について

川崎城の廃城時期については、一般に天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐を契機とする説が広く知られています。
これは、城主塩谷義綱が参陣しなかった、あるいは家臣の岡本正親による訴えで改易されたとする軍記物「那須記」の記述に基づくものです。しかし、史料を精査すると、義綱はその前年の天正17年(1589年)に上洛し豊臣政権へ恭順しており、小田原征伐の際も自らは参陣しなかったものの、正親を名代として兵を派遣していることがわかります。
これらの事実から、1590年時点で即座に改易・廃城となったとするのはやや不自然です。むしろ、塩谷氏が正式に改易された文禄4年(1595年)2月8日をもって、川崎城は実質的にその機能を終えたと考えるのが妥当といえます。
すなわち1590年は転機ではあるもののそれが主となるきっかけではなく、川崎城の廃城は豊臣政権下での政治的再編の中で段階的に進んだ結果と位置づけられます。
6. アクセス
■所在地:栃木県矢板市川崎反町720番地
■アクセス方法
🚃電車:JR矢板駅から車で約10分
🚙車:東北自動車道 矢板ICから約6分
🚶徒歩:JR矢板駅から徒歩で約45分
7. 公園隣接!おすすめレストラン『ともなり信生庵』

■店舗情報
・店舗名:ともなりそば処 信生庵
・電話番号:0287-43-4466
・営業時間:11:00~14:30 (L.O.14:00)
・定休日:年始(1月1日~1月3日)1月4日より通常営業
・お支払い方法:現金のみ
・アクセス:JR宇都宮線 矢板駅から車で5分、東北自動車道 矢板ICから車で5分
・駐車場:有り(30台)
・席数:70席
・住所:〒329-2144 栃木県矢板市川崎反町59-160
ともなり信生庵は、川崎城跡公園に隣接する「自然観察ふれあい広場」内に位置する農村レストランで、単なる食事処にとどまらず、地域の歴史と風土を体験できる場としての性格を持っています。
鎌倉時代に川崎城を築いた塩谷頼業(朝業)に由来する「ともなり」の名を冠し、その立地自体が歴史的文脈の中に置かれている点が特徴的です。

この店の最大の特色は、そばの栽培から収穫、製粉、そば打ちに至るまでを一貫して自家で行う点にあります。石臼で挽いたそば粉を用いた手打ちそばは、香りと喉ごしの良さを追求した“本物の味”として提供され、つゆに至るまで手作りという徹底したこだわりが貫かれています。
また、地元野菜を用いた天ぷらや季節料理も充実しており、単なるそば店ではなく、地域の農と食文化を総合的に体現する存在ともいえます。さらに、地元の女性たちによって運営されるアットホームな雰囲気も、この場所の魅力を形成している重要な要素といえるでしょう。
